ある先輩の人生について、ラップしてみないか?って誘いを受けた。

前に、ある先輩の人生について、ラップしてみないか?って誘いを受けた。
ラップっていうのは基本的に、自分の体験談やストーリーをリリックにすることが多いから、今回の件は違和感がありつつもおもしれーなと思った。

それから自分の中で《他人のことを、自分が語る意味》って何なのか考えていた。

岡原ゼミとは違うところで《鏡映的自己=人を通じて自分の社外的自己が見えること》について学んだ。なるほど、他者が語ることで、本人に返ってくるものがあるんだと思って。

ただそれでも、それ以上の意味が分からなかった。本人以外が発信することの意味、本人が語らない意味が。
岡原先生が『他人の事を他己紹介的に話す事の意味について、学問的に研究してる』と聞いたのもあったし、自分でももうよく分からなくなったので、直接岡原先生に聞いてみた。

 

先生、人が他者を語る意味ってなんなんですか?」って

そしたら先生は
「人が他者を語る意味については様々な議論がなされてきた。他者へのインタビューを映像にする、ビデオを撮る、など色々ある。人が他者を語るという行為に何か意味があるって考えないと意味ない。」って。
具体的な例として、メディアの話や、※トレンチコートマフィアの話もしてくれて。

そんな最近を想う、R指定のトレンチコートマフィアを聴きながら

 

※トレンチコートマフィア:アメリカの高校で起きた、スクールカースト下位の2人組が起こした殺人事件がある。その2人は自らをトレンチコートマフィアと名乗った